『300年』

「なんじゃ、童(わっぱ)か」
 暗闇の中から突然現れた少女は、テッドの顔を見るなり、そう言い捨てた。
 物音一つ立てずに灌木の隙間から現れた、という不可解な事実に驚くよりも前に、彼は少女の余りにも不躾な態度に虚を衝かれた。
 ぽかんと開けた口を何度か開閉させた後、ようやっと我に返った少年は声を荒げた。
「な、なんだと!? いきなり現れて、なんなんだお前! こう見えてもオレは、ひゃく……」
 迂闊(うかつ)にも実年齢を言いそうになって、テッドは慌てて言葉を飲み込んだ。
「……いや、お前だって、オレとそう変わらない年じゃないか」
「お主にはそう見えるのかえ? じゃが、こう見えても、妾(わらわ)はお主の倍以上生きておる。仮令(たとえ)──お主の齢(よわい)が百を超していたとしてもな」
 血のように紅い唇から白い犬歯が覗かせて、少女は笑った。
 唇と同様に紅の輝きを持つ眼を細めるその姿は、まるで人ではない生き物にも見えて、テッドの背中に冷たいものが走った。
「あんた、何者だ?」
 テッドは左手で弓矢を引き寄せ、右手の紋章に意識を配った。
 百年と少し、不老を与えてくれた真の紋章と共に旅を続けてきたテッドは、化け物を相手にするのは初めてではない。それでも、目の前の少女には勝てる気がしなかった。
 しかし、少女はその少年の緊張を鼻で笑い飛ばす。
「そういきり立つでないわ。勝てぬ勝負を仕掛けるとは、愚かにも程があろう」
「ただの子供だと思うなよ!」
 そう叫びながら、テッドはソウルイーターに意識を集中させる。
 勝てると思ってはいなかったが、隙を突いて逃げるくらいは出来る筈だと、彼は目算していた。
 ──が、ソウルイーターの魔法が発動するよりも早く、小さな雷がテッドに落下した。
「ぅおわぁっ!!」
 軽く痺れる程度の雷撃ではあったが、テッドの動きを止めるには充分で、彼は焦げた臭(にお)いをさせながら激昂した。
「何すんだよっ!」
「それはこちらの台詞じゃ。妾が穏便に話そうとしておるというのに、そのような物騒な物を使おうとする方が悪かろ」
「どこが穏便だよっ! ??って、え? あれ? じゃあ、あんたはオレの紋章を奪いに来た訳じゃないのか?」
「そのような物、ただでもいらぬ!
 妾が探しておるのは──、そうじゃな、確かにそれと似た気配ではあるが、全く違うものじゃ。
 まったく、お陰でまんまと騙されたわ。ほんに、とんだ無駄足を食わせおって!
 不機嫌を隠さずにそう言うと、少女は大股でテッドに近付き、彼の足元に落ちていた毛布を拾い上げ、「まあ、良い。久々に人と話す良い機会じゃ。妾も火に当たらせてもらおうかのう」と宣言すると、毛布をテッドから少し離れた地面に敷き、当然のようにその上に座った。
「おい、何すんだよ! それオレの……」
 取り返そうとするテッドの直ぐ横に、先程よりも威力の大きい雷が落ちる。
「…………いえ、なんでもありません」
 焦げた臭いを発する地面を横目に、テッドは大人しく地面に腰を下ろした。
「ならば良い」
 彼女は満足そうに頷き、更に不穏な事をのたまった。
「本来なら、食事もしたいところなのじゃが、小汚い童を囓るのは嬉しゅうない」
 半年近く森の中で自活してきたテッドは、服は薄汚れぼろぼろになり、ろくに水浴びも出来ていない有り様だ。殆ど人に会わなかった為、それでも気にならなかったが、改めて他人に指摘されると確かにみすぼらしい。
「仕方ないだろ、オレだって好きで──、ていうか、あんた今なんっつった? 囓るって何だよ!? まさかあんた──」
「勘の悪い奴よのう。まだ気付いておらなんだか。お主の考えておる通りじゃよ。
 まあ、世に伝わっている程、迷惑な存在ではないがの」
 意味が分からず、テッドが怪訝な顔をしていると、少女はじれったそうに付け加えた。
「一度や二度食われたくらいでは死なぬし、同胞になる訳ではない、という事じゃ。全く、察しの悪い者の相手は疲れるのう」
「フツー分かんねぇよ! 大体なんなんだよ、さっきから偉そうに!」
「妾の正体も分からぬような童(わっぱ)に、敬意を払う必要など感じぬよ。
 お主、見た目通りの年ではないと言っておったが、その割には難儀しておるようではないか。
 その様子では、人を避けて、長いこと山中に隠れておったのであろう? 人に追われたか? それとも、人を喰ろうたか?」
 唐突に核心を突かれたテッドは、驚いた顔で対面にいる少女を見詰めた。
「分からいでか。妾も良う似た経験をした事があるのでな」
 己の心の内を覗かれているかの様に感じて、少年は慄(おのの)いた。
「そう怯えた顔をするな。お主が喋らずとも、その正直な面(おもて)が雄弁に語っておっただけよ」
「なっ……!」
 顔を赤らめて言葉を失った少年を見て、銀髪の少女はくつくつと笑う。
「楽しいのう、人と話すのは。ほんに久方振りじゃ」
「……え?」
 テッドは目を丸くした。
「驚く事ではなかろうよ」
 少女は口の端を歪め、意地の悪い笑みを浮かべた。
「それとも、重荷を背負っておるのは、自分だけだと思っておったのか?」
「そういうつもりは……」
「ないと言い切れるのかえ?」
 その言葉にテッドは俯いた。
 実際、幸せに普通の人生を送れる人達を見ながら、自分の運命を呪ってきたテッドにとって、少女の言葉は胸に痛い。
「正直じゃのう」
 赤い唇が、三日月のような綺麗な弧を描いた。
「あんたは…っ、あんたはそう思った事はないのか!?」
「ない筈がなかろう。今までもそう思うて生きてきたし、これからもそう思うて生(い)くであろうな」
「な……っ!」
 己の未熟さを指摘されるのかと思っていたテッドは、返す言葉を失った。
「当前であろう。どのような生き方をしたとしても、己の不幸を嘆かぬ者はおらぬよ。
 大なり小なり、皆、己の運命と闘うてみたり、己の運命を受け入れてみたりしながら、終(つい)の時まで生きてゆくものじゃからのう」
「普通の寿命の奴はそれでいいさ! だけど……」
「いつ終わるとも知れぬ生ではそうは行かぬ、と?」
 少女は、ふっふっふっ、と息を抜くような笑いを漏らした。
「ほんっに、愉快じゃのう。よもや、そこまで妾と同じ事を考えておるとは思わなんだ」
 笑いを含んだ声でそう言い足し、暫くの間、笑い続けた。
「何がおかしいんだよ」
「これがおかしくない筈なかろう。
 自分が躓いた石に、他の者が躓いて転んでいるのを見たら、笑わずにおられようか。
 全く違う人間が、たった一つの共通点から、同じ事を考えるようになるとは、人は存外単純な生き物じゃのう」
 不意に少女の面から笑みが消えた。
 人形のような白い相貌から、感情を読み取る事が出来ず、テッドは戸惑った。
「妾が己の境遇を受け入れるまでにかかった年数に、お主はまだ遠い。
 いずれ、一年(ひととせ)が一瞬に感じられるようになる。さすれば、主の苦しみも少しは解けよう」
 哀れむような口調で言うと、少女はつと立ち上がり、空を見上げた。
「瞬く間に百年が過ぎ、二百年が過ぎ、齢(よわい)を数える事など忘れてしまえるようになる」
「……三百年、も?」
 少年は“お兄ちゃん”の言葉を思い出して問う。
「無論。
 ただひたすらに日々を繰り返している内に、過ぎ去っていよう」
 表情のないまま告げられた言葉は、まるで神託にも聞こえて、テッドは呆然と少女を見詰めた。
 しかし、少女からは新たな言葉が発される事はなく、そのまま暫しの時が過ぎた。
 紅い唇が微笑う形に弧を描き、明るい声が発されたのは静まっていた虫の音が、再び聞こえるようになってからだ。
「ふふふ。
 しばらくお主と旅をしようと思うておったが、やめておこう。良うない部分が、近いようじゃからの。互いの為にならぬ」
 少女は、とん、と軽く飛ぶと、まるで軽い衣(ころも)のように宙に浮かんだ。
「また、何処かで逢うかもしれぬ。その時は、もう少し身綺麗にしておれよ」
 ふわりと浮かんだ体は、地面に降りるよりも早く白く小さな蝙蝠へと変わり、銀砂が撒き散らされた夜空へと消えていった。
 唖然と見送った少年は、少女の名すら聞いていない事に、ようやっと気が付き、「……次、会った時に聞けばいいか」と、小さく独り言ちた。
 少女との出逢いが、テッドの心の枷を軽くしてくれたのか、その声からはほんの少し重さが消えていた。

終わり

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 テッド尽くしに投稿した物です。
 尽くしにて公開されたので、こちらにも公開してみました。
 久々の更新が再利用で、本当に申し訳ないです…orz

 シエラ様とテッド、一度書いてみたかったんですが、書いてみたらこんな話になりました。
 300年が長いのか短いのか、実際に生きてみることは出来ないので、想像するしかないのですが、
 過ごしてみると、案外短く、逃げるように生きている内に過ぎ去ってしまったんじゃないかな、
 と思うこともあるのです。
 そんな、成長が見られないテッドのお話でした。
 いずれ、シエラ様と坊ちゃんが会う話も書きたいです。

2010/10/26 UP