『支配の紋章』


 人の気配を感じて、テッドは目を覚ました。
 ソウルイーターの在処を吐かせる為、再び獄吏が現れたのか、と彼は絶望と共に重い瞼を開けた。しかし、彼の目に入ったのは、厳つい男ではなく、長い髪の女の影。
──この半地下の牢で死んだ、女の霊だろうか?
 テッドは訝しんで、その影の正体を良く見ようと目を瞬かせる。本当は目を擦りたかったのだが、後ろ手に縛られている彼には、出来ない相談だ。
 暗闇に目が慣れてくると、その人は幽霊ではなく人間で、陰鬱な表情の、何処か不幸そうな女性なのだと判った。
 その女を良く見ようと頭を擡げるが、彼女は、哀れむような、蔑むような表情で、テッドを無言のまま見下ろしている。
 波を打つ金の髪に、薄水の瞳。目鼻立ちのはっきりした白い顔は、人とは思えぬ程に美しい。
──何だ? 誰なんだ?
 見覚えはあるが、誰なのか判らずテッドは喉に小骨が刺さったような気分になる。こんな美人、一度見たら忘れないだろうに、何故思い出せないのか。
 記憶を検索していると、不意に女が声を発した。
「ソウルイーターを手放さないまま、今まで生きていたとは思わなかったわ」
 揶揄するような口調に、ハッとした。
 テッドの知る姿とは全く異なる、化粧気のない簡素な装いは、女の印象をがらりと変えていたが、声と話し方で女の正体が分かったのだ。
「三百年、何を糧に生きてきたの? 怒り? 憎しみ? それとも、悲しみ?」
 供も連れずにふらりと現れた女の意図が掴めず、テッドは黙り込んだまま相手の動向を窺った。
「どうしたの、坊や。疲れ切って返事をする事も出来ない?」
 女は、つとテッドの傍に寄り、彼の目の前にしゃがんだ。
 顔が近付いて、薄闇の中、白い面が良く見える。その表情は、何処か辛そうだった。
「あんたは、怒りや憎しみ、そして悲しみを糧に生きてきたのか?」
「……質問しているのは、私なのよ、坊や」
 哀れな生き物を見る目で、女はそう言った。
「昔と変わらない、優しい、愚かな瞳をしているのね。坊やのような子に、あの紋章は重かったでしょう? それなのに、どうしてこんなにも長い歳月、あの十字架を背負って来れたの?」
 何故、と問われて、テッドは首を傾げる。明確な心の支えがあったわけじゃない。
 途中で、何度も投げ出しそうになった──実際投げ出した事もあった。それでも現世(うつしよ)に戻って来られたのは、切っ掛けと、約束があったからだ。
「約束が、あったから」
 紋章を守る、と。そして、もう一度会えると言った、あの人の言葉を信じたから。
「でも、約束の相手はとうの昔にいなくなってしまっているでしょう。約束を守って、坊やに何か良い事があった?」
 確かに、辛い事の方が多かった。失くしてばかりだった、と言っても過言ではない。けれど──。
 テッドは、女に向かって小さく頭を振った。
「オレは、自分が不幸だとは思ってない。得た物だって沢山あった。あんたにだってあっただろう?」
 女は、その言葉を受けてくつくつと笑う。
「どうかしら、これを見ても、そう言えて?」
 白い手が、懐から緑色の布を出した。広げられたその布は、四角く、一部が紫色に染め分けられている。
「まさか……」
 それ以上、声が出なかった。
「そう、お友達が身に付けていた布頭巾(ぬのときん)。やっぱりお友達ね、一目で判るなんて、流石だわ」
 愉しそうに嗤う女の顔を、テッドは絶望の中で見つめた。
「けれど、もう会えないわね。ネクロードは男の子には興味がないから、今頃、右腕以外は屍鬼(グール)に始末させているんじゃないかしら」
「嘘だ! ソウルイーターが宿主を見捨てるはずがない!」
 ソウルイーターは他者の命を喰らい、宿主の命を守る。だからこそ、テッドは親友にソウルイーターを預けたのだ。
「──そうね、だから、ソウルイーターは坊やの処に戻って来るのよ。あれの本当の主は貴方なのだから」
 その言葉に、テッドは自失した。
 己の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「そんな、そんな筈……」
 呟いた言葉は、弱い。
 気味が悪いくらいリアルに、友人が死んでいく様が脳裏に浮かび、体が震えた。
「うそだ、うそだ……、だってあいつ、かんたんにしなないって」
 失くすって事が、こんなにも恐い事なのだと、どうして忘れてしまっていたんだろう。
 出来る事なら、今すぐにでも消えてしまいたかった。
「ほら、辛い事ばかりでしょう? 可哀想に」
 女の手が、頬に伝う涙を拭う。
「何も考えなくて済むようにしてあげましょうか? 辛い事も、悲しい事も、何も感じなくて済むように」
「なにも……?」
「ええ、何も。貴方がもう辛い思いをしなくてすむように、私が守ってあげる」
 頭の奥底で警鐘が鳴っていたが、テッドにはその甘美な誘いに抗えなかった。
 小さく頷くと、女は「いい子ね」と言って、短く呪文を唱えた。
「私の支配の下にいれば、もう、悲しまなくていいのよ」
 優しい声音で紡がれた言葉は、支配の紋章を宿した少年の耳には聞こえていなかった。


                             《 おわり 》
===

 支配の紋章、というか、紋章って相手の同意なしには宿せない、って思ってます。(真の紋章は別だ…)
 何故かというと、誰彼構わずこの紋章を宿せるなら、テオ様とかソニアとかか宿していない理由が不明なのです。
 数に限りがあった、という見方もあると思いますが、その場合、元々親ウィンディ派だったクワンダとミルイヒよりも、どっちかって言うと反ウィンディ派の人に宿すはずです。
 クワンダもミルイヒも「ウィンディ様が○○という紋章ということで宿してくださった〜〜〜」と言ってましたし、相手の合意なくては支配の紋章を宿すことが出来ない……、と考えると、テッドが支配されてるのはなんだかおかしいのです。
 とか言う事を考え始めたのは、もう、3年くらい前だと思います。
 つらつらその辺を考えながら、てことは、テッドが支配の紋章を宿しても良い、と思ってしまうような状況があった訳で……ぶつぶつぶつぶつ……と考えているうちに出来たのがこのネタでした。
 痛くてすみません…。
 ちなみに、このやたらめったら痛いブツは、日めくりテッドの「真持ちとテッド」のテーマの時に投稿させていただきました。ウィンディも真持ちですからね!

 本当は、このテッド、もっと陰惨な状況なのですが、一般公開しているココにUPするのはやばいので、いずれ18歳以上推奨、な仕様にしてどこかにUPしたいなぁ、と思っています。
 見掛けたら「あーあ、書いちゃった」とでも生暖かく見守っていただけると幸い…です。

2006/11/28 UP